㉝重油流出事故で本格的な初ボランティア

前記したように、私は目覚めて他に人もいて、家具にもぶつからず何かの下敷きにもならなかった。その後も車もあり、ガソリンもあり、食料の買い置きもあったという状況だったのです。つまり極めてストレスの少ない被災者だったのです。

これが一人ぼっちで、家具の下敷きや落ちてきたものに当たってというような状況ならば、その身体的なストレスというものはいかばかりか、ということです

だから、そういう災害の後によく「心のケアが必要だ」とマスコミが分かったような顔でいいますが(もちろんそれもいりますよ、たぶん)でも、家屋と生き別れというような精神的なショックがなくても、十分身体には極端なストレスがかかっているのだなあと、そういう状況の時の整体というのは役に立つなあと、そういうことを河野先生の整体を診ながら自分の身体を思い出して、いっそう整体に対しての敬意?や募る思いが高まったのでした。

話がぜんぜん進みませんね。進化体操までとどきませんので、ここでちょっと端折ります。この年の秋から河野先生の整体の師匠である岡島瑞徳先生(故人)、の大阪での整体操法初等講座が始まり、そのことを河野先生からお聞きして、ついにあこがれの野口整体の技術を学べるようになりました。

そして二年がたち、ヨガの道場もじわじわと会員数を復活させてそこそこのめどが立ち、震災からまもなく丸二年が経つという年の暮れで大槻ヨガを退社させていただきました。

ただしすぐに独立してうんぬんという話ではなく、三か月ほどフリーな時間を味わってから4月から親戚の会社(残業などほぼない会社だった)に就職。じわじわと学びを広げていくという作戦だったのですが、またまたハプニングです。

新年の4日に日本海で重油を積んだタンカー「ナホトカ号」が難破し、真っ二つに折れた船首部分が数日かけて福井県の三国町の海岸の目の前まで流れてきました。

船から流出した重油で、兵庫県から福井県、能登半島など一帯の海岸が漂着した重油で悲惨な状態になりました。阪神大震災の時には、行かなきゃ行かなきゃと思いながら、結局河野先生にくっついていかせてもらった芦屋の整体ボランティアの一回限り。

自転車でも行ける距離に万単位の人が困っているというのに、結局ほとんど何もできなかったという後悔がこの2年間ずっと心の底に澱のように沈んでいました。

幸い二年前と違い、退職して自由な時間がある。今いかないと一生後悔するぞという思いで、おっかなびっくり、何のつてもないままに福井県の三国町に出かけることにしました。1月の10日のことです。