うまくいくかどうかは、私の問題じゃなかった?
「うまくいくかどうかは、私の問題じゃなかった?」
マイクロストレッチ的「超脱力 最小微力のイメージで自分の課題解決をイメージしたら、切れ者のプロが助力してくださって、さっさと片付いちゃったというイメージでした、丸投げすれば万事解決」というなんの解決にもなっていない解決策でした。
そんな都合のいい展開ってありえないでしょう。
でももしかしたら、私が実現したいような「日本全国どこの家庭にも皮下チューニングの心得がある人がいる」「どこの家に行ってもマイクロストレッチ用のクッションが置いてあり、家族のうちの誰かが使っている」ような世の中を実現しているとしたら、その「あまりにも虫が良すぎるような現象が連鎖して起こっていった結果」でもないと実現しそうもないしと、逆に納得できる部分もあったのです。
頑張りさえすればできる、という過去の私の想定は、裏返せば頑張らないと実現しないコースをたどります。しかも、私が延々研究してきたものは、「努力が継続しない自分」をどうすればいいかでした。努力が継続しない私が努力を積み上げさえすればきっとうまくいくという枠組みでプランしているのですから、うまくいくはずがありません。
しかしながらさらによく考えれば、私がやろうとしていることがうまくいくというのは、自分が頑張った時というよりも、自分以外の人の行動に変化を呼び起こしたことによってもたらされるということでした。講座を受けにくる、動画を見てやってみる、結果として今までよりも調子が良くなってますますやりたくなる。
ベストセラー本というのはいい作品もさることながら、それを面白いと言って読む読者によって作られるわけだし、ヒット曲もファンになった人で生み出される。商売なら、買いに来る、注文するという顧客の行動によって繁盛するわけです。
なんか、今までの津田の発想とは違うものが見えてきたみたいです。私がやりたいことを実現していくためには、私が頑張るのでは今までの繰り返し。私が働きかけたい人から望む行動を引き出せるような要素を積み重ねていく。そうなるような方向に自分の行動を修正していく。というようなイメージでしょうか。
私が今までと同じように頑張っては、結局は尻つぼみになってしまうパターンに陥らないためには、私ではなく私の対象になっている人が、無理なく望ましい行動をとれるような働きかけをしていく、という枠組みに自分をはめることで、私自身も無理なく望ましい行動が引き出されてくるのではないか、というような景色です。
ややこしいですか?ですよね。私もまだ成功したわけではないですから。でもまあ、変革の途中というのは混とんとしているわけですから、ご容赦ください。明日、もうちょっと整理して書けると思います。
生活整体研究家
津田啓史 拝