社会の血圧について

個人から見るお金と社会で見るお金というのは全く別物です。

個人の場合だと「働かざるもの食うべからず」的な発想で、「ない袖は振れない」状態がつねに付きまといますから、そういうイメージのものであると刷り込まれてしまいます。

ところが国から見たお金というのは全然違います。国には通貨を発行する権利がありますから、ない袖は振れます。働かなくてもお金は生み出せるのです。

でも条件があります。その国が一定以上豊かで、お金で買えるものが豊富にあり、受けられるサービスが潤沢にある、という条件です。電車はいつ来るか分からない、何かを送ろうと思ってもいつ到着するか分からない、電気はしょっちゅう停電する、車を買おうと思っても何か月待ち。そんな国だとお金に力が宿りません。

資源のなさと食料自給率の低さを除けば、日本は条件を満たしています。

そういう国だと国がお金を刷って配っても、世の中は活性化こそすれ、借金で首が回らなくなることはありません。海外からお金を借りて国を回しているなら、税金をせっせと取ってその外国からの借金を返さないと破綻しますが、自国で自国通貨を適量発行するだけなら、破綻は起こらないのです。

でも実態の中身の破綻は起こります。すべての電気を原発に依存していたら、原発を止めると国の生活は破綻します。働く人が足りなくなって破綻します。石油が入ってこなくなっても生活は破綻します。だからやるべきことは分厚い供給力(災害などでそれらがダメージを受けないようにする備えも含む)を積み上げていくことなのです。

必要なのはお金という架空の数字ではなく、何があっても国民が困らないだけのものを常に備え続けることなのです。

それを可能にするのが「世の中に常に適量のお金が循環していること」です。人体でいえば「ちょうどいい血圧」のようなものです。

例えば国に1000兆円のお金があっても、信じられないぐらいのお金持ちがそのうち500兆円を所有して使わなければ、国には500兆円の活力しかもたらされません。頭に血液が集まりすぎて、それ以外の部位が低血圧で貧血を起こします。これはまったく健全なことではありません。

税金というのは、ため込みすぎるところがあると、経済が停滞するから、もうけているところから大目にとる、というのはお金の仕組みから言って正しいのです。うっ血しているところのお金を全身に循環させて均等にしているようなものなのです。

逆にあまりお金を持っていない人から、税金でお金を回収してしまうと、世の中に回るお金が減ります。低血圧です。そうすると、人の活力が減ります。動けなくなります。ものやサービスを提供するという大事な機能が弱っていきます。国力は衰退します。長く続けるとお金の価値が下がってしまいます。円安の今はそういう状況です。今はそれが25年続いています。

暴漢の凶弾に倒れた元首相。決して許されない行為です。絶対にあってはならないことです。

しかしながらそのことと、その政策が正しかったかどうかというのは別問題です。多くのお金を株価という「ただの指標」を上げるために使い、富豪以外から税金や社会保険料として使えるお金を減らし続けました。

日本のような先進国で政府が通貨を発行できる国は、世の中にちょうど良いお金を流通させることが必要です。そして、お金持ち以外のところに循環するお金が少ないので、この国は衰退しているのです。競争力が低下して、世界的な企業がどんどんなくなり、外資に買われ、衰退しているのです。

これを止めるには、お金を循環するように政府が吐き出すことが必要です。その方向に少しでも進めるチャンスが日曜日の選挙です。

自民公明は増税です。維新は今回は減税を公約に掲げていますが、あらゆる街頭演説で虚偽の情報を言いまくっていますから信用できません。消費税半減を言っているのは、立憲、共産、れいわ、社民です。

ただ、れいわ以外は「財源は有限・税金だけが政府の財源」という立場なので、弱いです。

消費税は廃止で、適量のお金を刷って配って流通させれば、国力はじわじわ復活します。ただし、今の政府の政策をそのまま通してしまうと消費税19%を目指して進みますから、ますます回復に時間のかかるダメージを負います。

凶弾に倒れた元首相のご冥福を祈ることと、一億を超える国民のこれからの五年十年今以上に衰退させないための選挙を同列に語ることはできません。

私は、まだ生きている人がよりましになることの方を願い、みなさんが賢明な投票をされることを祈るばかりです。