私の人生に挫折なし

『私の人生に挫折なし』

今日のお話は『頑張る」という枠組みで励む方式は、あたりまえですが最初にプランありきなのです。しかし、この「最初にプランありき」には重大な疑義があります』の解説です。

 

●プロは段取り アマチュアは計画

ですが今日の本題に入る前に、「前提」をお話しします。それはあくまで「駆け出し」「これから」「発展途上」の人が対象だということです。すでに何かに長期間従事され、ある種何かのプロとなった方が「これがこれぐらい必要だから毎日練習する」というものは経験の裏付けがあるので、この疑義の対象ではない、ということです。分かっていないやつが立てるのがここでいうプラン、計画。分かっている人が立てるのは「段取り」。この二つは似て非なるものです。

その分野のことがまだ分からない、という人が新たな自分と出会うために始める場合の注意事項みたいなことを書きます。

さて計画を立てることへの疑問ですね。頑張らない方がいいということの解説でもあります。

 

●1年生と4年生のどちらが偉いか問題

今でもそういうところも残っているようですが、昭和の大学の応援団や運動部などの学年ごとの階層では、こんな比ゆが用いられます。

一回生 虫けら
二回生 奴隷
三回生 人間
四回生 神様

です。

それが正しいかどうかは別にして、在籍年数が長いほど偉いということです。これは極端な例ですが、例えば練習内容を決めるのは、1年生が決めるよりは3年4年生が決めた方が、そのクラブの実情に合った内容を短時間で決められるだろうということにはみなさん異論はなかろうと思います。

ところがこれが自分のことになると、そういう視点が欠落します。新しい何かへのチャレンジの場合、その分野のことに対して経験も少なく、知見にも乏しい素人の私が立てた計画や作戦に、その後の経験を積み、知見を積み重ねた私を従わせるというのが計画というやつの正体です。

つまり、虫けらである1年生の立てたプランに、神様である4年生が従わされるというのが、プランと実行の関係性です。これは過去の自分と現在の自分、また未来将来の自分の肉体と記憶が連続しているために起こる錯誤だと考えた方がよくないでしょうか。つまり同じ自分であっても「年長者の私のアドバイスを聞きなさい」ということです。

 

●計画は後日修正するためにある

計画を立てた時の自分と、その後実行した後の自分と、どちらが経験豊富で人生経験を積んだかといえば、当然後の自分である。であるならば、計画というものの位置づけは変わらなければならないのです。

計画とは未熟な自分が書いた仮の設計図であるので、その後それを実行した後日の私が、適宜目的に合うように、また継続しやすいように、あるいは中止の決断も含めて修正していくたたき案なのです。

私見ですが、こういう「計画」というものは会社のようなたくさんの人を強制的に同じ方向に向けて目標を達成させるために発達したものではないかと思います。だから個人には合わない。個人の計画はあくまで暫定案であって、後日書き変えられるべきものなのです。

そう考えるならば、計画に挫折というものはありません。続かなかったとしたら、それは後日の私が喜んで続けたくなるような計画でなかったということなので、合目的性と継続性をはかりにかけながら、日々修正していけばよかったのです。

そう、計画がうまくいかなくっても「今のあなた」が苦しむことはない。「過去のあなた」の計画が良くなかったんですよ。ははは。ということで私の人生に挫折なしじゃ。

 

家族整体・生活整体の普及推進
習慣化の技術 超遅速願望実現法提唱
マイクロストレッチと皮下チューニング

津田啓史(ひろふみ)

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世界一頑張らないトレーニングができました。

マイクロストレッチです。おととい紹介の動画は、「かなり大きめ」でただし「無意識に超ゆっくり」でした。今日はそれも含めて三つ、通常の動的ストレッチに近いものからマイクロストレッチまで順番に見てもらえるとわかります。

【動画】割と大きく、無意識にただしゆっくり動くもの

 

【動画】多くの人がすぐにそうなるわりと一般的なマイクロストレッチ

 

【動画】内面の動きを感じて、表面はほとんど動かなくなった人のマイクロストレッチ