反省するとはどういうことか 1

【反省するとはどういうことか 1】

コロナ対策のことを書いていくとどうしても誰かの批判になるし、愚痴っぽくなりますから書いてきてだんだん嫌になってしまいます。

すいません。だったら書くなというご意見もありましょう。基本的に、書かずにおれないというものが湧いてきて書いているのです。ただ書きたいことを書きながら、でも書いたあとに気分が悪くならないようにするにはどうしたらいいのかと探しております。

国の方針や政策を批判的に書いたとして、その内容に共感してくださる方がそこそこおられたとしても、それだけで決定権を持った方のそれまでの方針がいきなり転換するとは思えない。

だからといって、おかしいことにおかしいと声を上げるということを否定しているわけではなく、個人的に今日ただいまの自分の時間の使い方をどうするかという問題の考察です。

何かを否定するような内容であれば、ますます間違ったことは書けないのでやたらと時間がかかる。(それでも東京の重症者のときのように、見落としは出てきます。)

書くために使っている時間を、もっと自分の本業に使って、例えば動画を撮る時間に当てた方が、誰かの発想を変えることに役立てたり、誰かが身体のメンテナンスの仕方を学ばれて、今までよりも毎日が快適に過ごせるようになるという流れの方がやる必要のあることだろうなと思います。そこが抜けていたら本末転倒だ、などということも考えるのです。

しかしながら、ここ数回を使って分析した「コロナやオリンピックの分析」に費やした時間をここで単に打ち切りにするのももったいないなあ、と思うのです。

とりあえずそこで考えてみたことを使ってみて、自分にとっての有益な時間に変えられないかやってみよう。そんなふうに思考が進みました。

他者の批判を考えるのに使った時間を、なんとか自分のための有益な時間に転換するには、この後の何かにどうにかつなげていくことによって得られそうです。

その時に頭に浮かんだのが「反省する」という単語でした。

おかしいと感じることのおかしさの根拠を調べて考えて文章にしただけなので、別に反省しなければいけないような悪いことをしたわけではないのですが、頭に浮かんだものは仕方がない。なんで反省という言葉が浮かんだのか、よく分かりません。しばらく「反省」という単語を中心に頭に浮かんでくることを追いかけました。

反省という言葉は、よく学校などで先生が、あるいは親が口にします。「反省しろ」とか「反省が足りない」というような文脈で使われることが圧倒的に多い。

「反省しろ」と言われた方が、とりあえず「申し訳なさそうな顔」をすることで収まることが多いようです。

「反省しろ!」というのは、「反省という行動を取りなさい」という意味の日本語なのですが、そこで求められているのは「非を認めた態度を取る」ということで、求められていることと言葉が合っていないのです。

「非を認めろ!」「申し訳ありませんでした」
だったら日本語としてかみ合っています。

というところまで考察が進みました(つづく)


生活整体研究家
進化体操と和の体育

津田啓史 拝

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